急激に人が離れている下北沢

急激に人が離れている下北沢「街の寿命30年」説を考える

今から13年前?19,20歳と、明大前駅にある学校に通っていたものですから、学校帰りにはしょっちゅう下北沢へ遊びに行っていました。好きでした。下北沢。

ごちゃごちゃした商店街には個性的な店が並び、おしゃれな人はみんな古着を上手に着こなしていました。音楽はいわゆるロキノン系と言われたロックバンドが人気だった時代。

無数にあるライブハウスでは爆音でギターをかき鳴らすバンドで活気づいていました。演劇の街としても有名で、そんな文化的な空気が街を覆い、独特な雰囲気がありました。

キレイ目カジュアルとビジュアル系バンドが好きだった田舎の少年は一気に下北沢の文化にかぶれていきます。青春時代を過ごした街ということもあり、思い入れがあります。

そんな下北沢ですが、近年、駅の利用者数が激減しているそうなのです。しかも並びの駅と比較してもその減少ぶりは突出しています。

下北沢駅年度別1日平均乗降人員

下北沢駅年度別1日平均乗降人員

出典:wikipedia

2013年、2014年にそれぞれ-8.6%、-5.2%の乗降人員の減少。それ以前はプラスマイナス1%程度の増減です。

2014年度小田原線1日平均乗降人員

小田急線1日平均乗降人員

出典:odakyu.jp

小田急線の各駅の乗降人員の増減率はおおむね-2%程度ですが、下北沢だけ-5.2%と突出しています。

2013年3月23日より、小田急線が地下化したことで京王線との乗り換えが不便になったことや、2013年3月16日より、東急東横線と副都心線の相互直通運転が始まり、利便性が高くなったことで利用客が流れていると考えられますが、交通だけのせいでは無いような気がします。

住みたい街ランキングで圏外に

SUUMOが毎年発表している住みたい街ランキング(関東版 20代シングルランキング)でも、下北沢の人気は年々下がっています。

2010年:第5位
2012年:第4位
2013年:第17位
2014年:圏外
2015年:圏外

何と、住みたい街ランキングでも13年を境に人気が急降下。下北沢、中野といった下町っぽさを残している街がランクインした10年と比較すると、近年はいわゆる都会的な街に人気が集まる傾向にあります。

この急降下はなかなか説明がつかないところがありますが、若者の街として有名だった下北沢で若者離れが進んでしまった背景には文化的な流行の廃退が大きな原因としてあるような気がしています。

音楽不況

とにかく1998年をピークに、CDの売上は年々減少傾向にあります。デジタル化や、携帯電話の普及によりコンテンツが多様化したことが原因とされています。

バンド系の音楽CDは、そもそも売れ筋ではありませんでしたが、市場が縮小したことでさらに売上を落とします。一方で、2009年頃からAKB48を筆頭にアイドルグループの人気が加速します。

この流れは秋葉原を中心に巻き起こり、ライブハウスで地道に活動を続けていたでんぱ組.incの昨今の活躍はかつての下北沢のバンドブームのような空気さえ感じます。

そんな中、音楽業界はライブに活路を見出します。近年ロックフェスがとにかく増えました。You Tubeなどでタダで音楽が聞けてしまう中で、リアルな体験の価値が高まりました。

主な「夏フェス」だけでも観客動員数は合計で200万人を超えるとされ、周辺の宿泊施設や飲食店、各種の小売店などへの経済波及効果が見込まれる。
出典:株式経済新聞

じゃあ、下北沢のライブハウスも賑わっているのかというと、人気なのは有名アーティストが多数出演する大きなフェスのみで、弱小バンドのライブへの集客は減る一方だとか。

身近なバンドの子たちに聞く限りでは、ライブハウスの状況は決してよくなく、むしろ動員が減ってきているという印象があります。「ライブが盛り上がっている」というのは一面的な情報
出典:音楽プロデューサー佐久間正英が語る「未来の音楽のために」(前編)

というように、下北沢の音楽文化は衰退傾向にあります。

ファッションの流行

古着の街

下北沢といえば古着の街として有名ですが、昔は渋谷に行けば109系のギャルがいて、原宿に行けばロリータや裏原系といったその街ごとの色がたっていましたが、昨今ではどこへ行っても似たり寄ったりで、若者のファッションが無難化しているのだそうです。

街の若い人を見ても、勤務先の女子大の学生を見ても、皆おしゃれはしているけれど、飛び抜けて周りと違う格好をしている人が少なくて、とてもフラットな感じです。

ちゃんと流行のアイテムを着ているし、洗練されているけれど、それがあまりに同質化していて「もうちょっと違うの無いの?」と思う状況が、ここ4、5年ほど続いています。

従来ファッションは、自己表現の手段だったはずですが、最近はダサすぎてももちろんダメですが、おしゃれ過ぎてもダメということにとても気を配っていて、程良い感じがいいという意識を皆が持っているようです。

5、6年前は、「その格好で授業受けるの?」とか「胸見えちゃっているじゃない」とか「真っ黒すぎて誰だか分からないよ」といわれるすごいギャルがちゃんといました。
出典:若者ファッション論 口コミファッション化する若者たち ~対談・渡辺明日香【前編】

安いからという理由で古着を買っていた層も、2008年のH&M日本出店以降ファストファッションが流行り、新品でも安くてかわいい服が買えるようになりました。

ファッションについてはあまりトレンドを追いかけなくなってしまった僕ですが、古着ブームは昨今耳に入ってきませんし、見ることもないです。

音楽の街、ファッションの街と言われていた下北沢の文化は、実は流行り廃りのある流行の上に成り立っていただけだったのかもしれません。

下北沢はいつから若者の街だったのか?

こんな説があります。

下北沢が「若者の街」となったのは、1970年代以降のこと。 特に1979年から開催された「下北沢音楽祭」が、「若者の街」というイメージを定着させたのではないかと言われています。
出典:桑江知子と栗村智のヒーリングトリップ

「若者の街」というイメージができて約30年。「会社の寿命は30年」なんていう言葉もありますが、街も同じなのかもしれません。

開発中の街というイメージ

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出典:wikipedia

そこに来ての下北沢駅前の開発問題。これはまた別の機会に書きたいと思いますが、推進派と反対派の話し合いは今も続いている状況です。小田急線の地下化工事が始まって以降、終わらない工事が続いている街という印象があります。

街としての景観も良くありません。下北沢のイメージアップのためにも、早急に駅前の開発問題は解決しなければならないように思います。